活動報告ブログ
2026.07.17
R08.07.16四谷怪談 京にもあるお岩さん伝説
2026。07。16四谷怪談 京にもあるお岩さん伝説 天気:快晴 参加者:157人
お岩さんで知られる歌舞伎「東海道四谷怪談」は1825(文政8)年、江戸中村座で初演され、昨年で200年になりました。夫の民谷伊右衛門の謀で醜く崩れた顔や、殺されて戸板に括り付けられ川に流された骸が伊右衛門の前に浮き上がってくる場面など、作者の四世鶴屋南北が江戸市中で起きた猟奇事件を筋書きに盛り込み大当たりを取りました。この日はお岩さんにちなむお岩大明神をはじめとする怪談ゆかりの場所を巡ります。
暑い季節なので早朝ウオークでの実施。JR京都駅で午前8時半に受け付け開始し順次スタートしました。まずは堺町通松原下ルの「鉄輪(かなわ)の井戸」を目指します。憎い相手に見立てた藁人形に五寸釘を打ちつけるという呪いのスタイルは、世阿弥の能「鉄輪」が原型とされています。狭い木戸をくぐって路地に入ると朱塗りの小さな祠があり、左側に手水鉢のようなものもありましたが、井戸は涸れているとのことでした。
松原通を東にとり、鴨川を渡って六道珍皇寺の中にお岩大明神がありました。四谷怪談はすべて江戸で完結しており、京都にゆかりの祠があるのは不思議ですが、劇中の人物の境遇に同情して祠や墓ができるのは珍しいことではなく、これもその一つかと思われます。寺は天皇と閻魔大王の両方に仕えた小野篁ゆかりで現界と霊界の境目とされており、そこから祠の場所に選ばれたとみられます。
東山通を下り馬町から方広寺に入ります。豊臣秀吉ゆかりのこの寺の釣鐘には「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が刻まれ、この文言に徳川家康が言い掛かりを付けて豊臣家の滅亡につながりました。「誰が言い出したか分からないが、釣鐘の中に白い服を着た淀君の幽霊が出ると言われています」と立番のスタッフが教えてくれました。
三十三間堂の横から塩小路橋を渡り、平清盛終焉の地に。平家の拠点だった東の六波羅と西の西八条の中間のこのあたりも平家が確保していたようです。ゴールの京都駅八条口はもう目と鼻の先。参加者は汗だくになりながらも午前10時半頃には相次いで到着し、早過ぎてもの足りない様子の方もおられました。

細い路地を入って命婦稲荷神社に参る。

命婦稲荷神社の片隅にある鉄輪の井戸

六道の辻にある「幽霊子育て飴」の店は定休日

六道珍皇寺

六道珍皇寺境内にいっそり祀られている「お岩大明神」

閻魔大王像

茅の輪もありました。

秀吉ゆかりの方広寺の瓢箪

豊臣滅亡の原因となった方広寺の鐘。内側には淀君の幽霊像がみえるらしい?

平清盛終焉の推定地



